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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和27年(う)552号 判決

控訴人 被告人 松本善吉

検察官 高橋泰介関与

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

主任弁護人松村鉄男の控訴趣意は弁護人松村鉄男、同柴田武、同花岡隆治の作成名義と、弁護人松村鉄男の作成名義の各控訴趣意書に記載したとおりである。

弁護人松村鉄男、同柴田武、同花岡隆治名義の控訴趣意第一点について、

よつて本件記録並びに原審で取調べた証拠を検討するに本件公訴事実は被告人は鹿児島市山之口町七四番地所在の第一生命保険相互会社鹿児島支社の支社長として勤務中のものであるが保険募集文書には保険会社の将来における利益の配当についての予想に関する事項を記載してはならないのに拘らず同会社締結の生命保険契約においては契約者に対し養老保険給付の際掛金に一定の配当率による配当金を加算支払うべき旨を記載した文書三百枚を印刷せしめ昭和二四年七月頃鹿児島市山之口町の右支社に於いて之を外務員高野一郎外六十名位に頒布し同人等をして保険加入の勧誘に使用せしめたものであるというのに対して、原判決では被告人は第一生命保険相互会社長崎支社長であるが鹿児島市山之口町七四番地所在の同会社鹿児島支社長として勤務中昭和二四年七月頃右支社において外務員に対する保険募集教育用教材として同会社締結の養老保険契約においては掛金中止の場合においても満期の際掛金に一定の配当金を加算支払うべき旨を記載した保険付短期貯蓄と題する文書三百部を印刷し外務員等数十名に頒布したものであると認め保険募集の取締に関する法律第一五条第二項、第二条第五号、第二二条を適用処断しているものであるところ右の印刷頒布した印刷物が同法第一五条第二項にいわゆる保険会社の将来における利益の配当についての予想に関する事項を記載した文書であることはその記載内容に照し容易に肯認し得られるのであるけれども、右各条の募集文書図画とは募集のため又は募集を容易ならしめるために募集の相手方を対象として作成使用せられた文書図画のみを指称するものと解する。けだし保険の募集に際して前各条にいわゆる会社の将来における利益の配当又は剰余金の分配についての予想に関する事項を記載した文書図画を使用するときは文書図画により表現せられた事項に対する特殊の信頼から募集の相手方をして不当に射倖的混迷に陥らせひいては正常な判断を失わしめる虞があるから募集に際して相手方に対してかかる文書図書の使用を禁止した法意と考えられるからである。従つて右のような文書図画であつても募集の相手方を対象とせず単に保険募集人に対する保険募集の教育用教材として頒布したにすぎない場合は前記のような虞がないのであるから同条項のいわゆる募集文書図画に該らないものといわねばならない。しかるに原判決においては外務員(保険募集人)に対する保険募集教育用教材として印刷した該文書を外務員数十名に頒布した事実をもつてこれを同法の募集文書図画に該当すると認定したのであるから原判決には同法条の解釈を誤つた不法があるものといわなければならない。しかして右の不法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから論旨は結局理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつてその余の控訴趣意に対する判断はすべてこれを省略し刑事訴訟法第三九七条第四〇〇条但書により原判決を破棄し、当裁判所において被告事件につき更に次のとおり判決する。

本件公訴事実は原判決で認定した事実の外冒頭に掲記したとおり同文書を外務員に頒布し同人等をして保険加入の勧誘に使用せしめたものであるというにあるが外務員等をして同文書を保険加入の勧誘に使用せしめた事実はこれを認めるに足る証拠がなく原判示の事実は罪とならないのであるから結局本件公訴事実はその証明がないことに帰着するので同法第三三六条により無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 甲斐寿雄 判事 二見虎雄 判事 長友文士)

弁護人松村鉄男、同柴田武、同花岡隆治の控訴趣意

第一点原判決には判決に影響を及ぼすべき重大なる法令の解釈適用の過誤並に事実誤認の違法がある。

原判決理由中には「昭和二十四年七月頃右支社において外務員に対する保険募集教育用教材として同会社締結の養老保険契約においては掛金中止の場合においても満期の際掛金に一定の配当金を加算支払うべき旨を記載した保険付短期貯蓄と称する文書三百枚を印刷し外務員等数十名に頒布した」とあるけれどもその判示事実のみによつては被告人松本の如何なる所為が如何なる理由で保険募集の取締に関する法律(以下取締法と称する)違反になるのか明確ではない。然し乍ら右判決の内容に付いて忖度するに先づ、

第一に保険付短期貯蓄と称する文書(以下本件文書と称する)が取締法第二条第五項の募集文書図画の範畴に属すること

第二として且本件文書の記載内容が同法第十五条第二項の保険会社の将来に於ける利益の配当又は剰余金の分配に付ての予想である。

と認定せられて処断したように窺えるが決して本件文書は募集文書図画ではなく亦仮にそれが募集文書図画であるとしてもその内容は保険会社の将来に於ける利益の配当又は剰余金の分配に付ての予想を記載してあるものではない。

(一)抑々取締法は保険契約者の利益を擁護する為め挙績のみを目的とする不徳義な募集方法を取締ることを主眼として立法されたものであつて同法第二条第五項に曰ふ募集文書図画中の「印刷物」とはその上に募集文書図画と冠せられているところより観ても、勿論凡ゆる印刷物を指称するものではなく募集の為め又は募集を容易ならしめる為に使用せられるものに限ること理の当然である。昭和二十五年三月四日付の熊本財務局長宛大蔵省銀行局長書面中『「印刷物には募集に使用しない外務員等に対する教材も含む』ものと解していることは取締法の趣旨を全く逸脱した行政府の一吏僚の謬見と云はなければならない。然るに原判決は斯かる行政府の謬見を採用しての結果に基くのか「外務員に対する保険募集教育用教材」と認め乍ら本件文書を取締法第二条第五項に曰ふ募集文書図画であると認定していることは畢竟法令の解釈適用を誤つた違法があると断ずべきである。このように教育用教材と判示しているからには、それは文字通り教材であつて、募集の為め又は募集を容易ならしめる為めに使用せられるものとは云い得ないのであり亦教材として外務員に頒布したが故にそれが当然に募集の為め又は募集を容易ならしめる為めに使用せられたものと云ふことはできない。惟ふに支社長は当該支社を統轄し隷属の支社員を指揮監督する任に在るものであつて支社長が支社員を教育し保険に関する正しい認識を与へ以てそれ等の者の素質向上を図ることはとりも直さず取締法の趣意に副ふ所以であつて斯かる教育用の教材として使用せられた本件文書の作成が逆に取締法に違反するものとして処断せられたことは洵に遺憾の極みである。

(二)然も原判決によれば本件文書の内容中には「同会社締結の養老保険契約においては掛金中止の場合においても満期の際掛金に一定の配当を加算支払ふべき旨を記載し」てあると判示せられているが本件文書の内容を隅なく精閲しても斯かる事実が全然記載されてはいなし亦第一生命保険相互会社の養老保険契約には掛金中止の場合に於て満期の際掛金に一定の配当金を加算支払ふような制度はない。凡そ保険会社の保険事業は保険業法等により厳重なる国家の監督を受けているものであつて定款、保険約款の制定改廃に付ても一々その認可を受けこのように認可を受けた当時の定款、養老保険約款中にもこれ等の事項を見出すことはできない。右約款第四条の規定によれば掛金を猶予期間経過後尚もその支払を怠つて(中止)いれば該保険契約は当然に失効するものであつて而も配当は契約存続に限られ失効後は満期と言ふものも考えられないし利益(剰余金)を配当(分配)する筈もない(只約款第二十四条中には契約の解除、中途解約又は失効の場合返還金を契約者に払戻す規定があるがこれは配当金等とは全く性質を異にして居り本件に於ては同日に談ずることはできない)。取締法第十五条第三項中で記載を禁止されている事項(募集文書図画)には保険会社の将来に於ける利益の配当又は剰余金の分配に付ての予想であつて事実の記載を指称するものでは決してない。然るに原判決の判示事実には「一定の配当金」とあり、このように「一定」とあるからには(何が一定であるか原判決では不詳であるが)別に将来の予想を示しているものと言ふことはできず然も前記約款第三十一条によれば剰余金を配当(分配)することは第一生命保険会社の既定事実であつて、この「一定の配当金云々」と認定し乍ら直ちに取締法第十五条第二項に禁止せる事項を記載したとの結論に到達した原判決は不可解と言ふの外ない。

右に叙述したように原判決の判示事実中には保険制度の実態にそぐはない重大なる事態の誤認があると確信するが更に本件文書の内容に付て言を加へたい。

本件文書上欄「保険金百万円」の次に括弧書で「現行配当率ニ依ル」と記載されて居り、要するに本件文書は社員の教育の為め社員に対してのみ配布することを目的とし且一例を養老十五年払三十年満期三十才加入保険金百万円にとり三分配当率(現行率-当時の)を基準とし計数上の手数を省いて図表解説したに過ぎないものであつて取締法第十五条の規定の所以は何期にはこれこれ何年にはこれこれの配当、分配があると将来に於ける不確定の予想を真実の如く装い好餌を以て保険契約者を幻惑し保険契約の締結を誘致せしむることを禁止するものであり本件文書はこのような場合に該当する趣旨のものではない。然るに原判決がこのような点に言及することもなく本件文書の記載内容が直ちに取締法第十五条第二項に違反せるものと認定したことは事実誤認の誹りを免れない。以上の様な諸理由の通り原判決には重大なる法令の解釈適用の過誤並に事実の誤認があり何れも判決に影響を及ぼすべきものであるから原判決は破毀されるべきものと信ずる。

第二点原判決には判決に影響を及ぼすべき証拠に対する証拠調の法令違反の事実がある。即ち原審記録中昭和二十六年十二月九日の公判調書によれば「検察官事務取扱は(中略)、五、被告人の供述の証明力を争うため刑事訴訟法第三百二十二条該当の書面として、(イ)被告人作成の昭和二十五年一月二十四日付申立書と題する書面一通、(ロ)司法警察員作成の被告人の第三回供述調書一通(中略)を以て(中略)各立証すると述べ右各書及び証拠物の証拠調をされたいと請求した。弁護人は、前記五、の(イ)(ロ)(中略)に各記載の書面についてはいづれも任意に作成されたものでなく又被告人の任意の供述ではないのでこれらの書面を証拠とすることには不同意でありその証拠調の請求については異議」を申立てたところ「裁判官は、前記各書面中(中略)五、の(イ)(ロ)(中略)に各記載の書面につきその末尾にある被告人の署名押印の真実性を確認し同時に右各供述調書作成直後における記載内容につき読み聞かせられた事実を確認した上前記各書面及び証拠物全部について証拠調をする旨の決定を宣し同時に弁護人の右異議申立」を却下したことは被告人を不利益に処遇するものであつて弁護人から被告人の利益擁護の為めこのように異議申立をなした際は、未だ以て司法警察吏員及び被告人の尋問が未了である以上は検察官に対し任意性の有無に関し釈明を求めるか、或はそれを撤回せしめるかその他適宜の措置を講じ被告人を不当に圧迫しないよう努めるべきに不拘単に署名押印と読み聞かせた事実のみを捉え証拠調をなしたことは違法である。署名押印と読み聞かさせられた事実があるからこそその申立書、供述書は任意性がないと主張しているものであつて爾後原審に於ては司法警察員末吉操(供述調書作成者)を証人として尋問したこともない。このようなことが認められるものとすれば常に被告人は不利な立場に置かれ旧刑事訴訟法に於ける警察の岡引根性による調書が権威を持つことになり却て新法の理想と主義に背馳するものと言はなければならない。而もこれを重要な証拠として採用しているのである。原判決は旧法の悪思想をその侭踏襲したものであると言ふべく畢竟判決に影響を及ぼすべき証拠に対する証拠調の法令違反があり原判決は破棄を免れない。

弁護人松村鉄男の控訴趣意

第一点原判決は「被告人は第一生命保険相互会社長崎支社長であるが云々同会社鹿児島支社長として勤務中、昭和二十四年七月頃右支社において外務員に対する保険募集教育用教材として云々――一定の配当金を加算支払ふべき旨を記載した保険付短期貯蓄と題する文書三百通を印刷し外務員等数十名に頒布したものである」と判示し有罪の認定を為したのであるが之を本件公訴事実に対照するに昭和二十五年五月九日鹿児島区検察庁検察官後藤徳蔵の起訴状には公訴事実として「被告人は第一生命保険相互会社鹿児島支社長として勤務中のものであるが保険募集文書には保険会社の将来に於ける利益の配当についての予想に関する事項を記載してはならないのに拘らず云々 一定の配当率に依る配当金を加算支払ふべき旨を記載した文書三百枚を印刷せしめ、昭和二十四年七月頃云々 之を外務員吉野一郎外六十名位に頒布し同人等をして保険加入の勧誘に使用せしめたものである」と記載され罰条として保険募集の取締に関する法律第十五条第二項第二十二条を掲げているのである。即ち本件に於て検察官の起訴せる事実は被告人が「保険募集」の目的を以て右文書を印刷し之を外務員吉野武一郎外数十名に頒布し同人等をして保険加入の勧誘に使用せしめたと云ふ点が主眼であり単に「外務員に対する保険募集教育用教材として」右文書を印刷し外務員等数十名に頒布した事実を起訴したものではない。保険募集の取締に関する法律第十五条第二項は「保険募集教育用教材として」右文書を印刷し之を会社の内部関係者たる外務員に配布することをも対象として之を禁止せんとするものでないことは後に詳述する通りであつて検察官は斯る事実を起訴したものでなく起訴状に明記する如く所謂「保険募集文書」-即ち保険募集の目的の為の文書を印刷し之を外務員に頒布保険加入の勧誘に使用せしめた事実が本法第十五条第二項に抵触するものとして公訴を提起せしものである。以上の事実は前記本件起訴状の記載事実と原判決の判示事実を対照せば自ら明かであり、斯の如きは刑事訴訟法第三七八条第三号に所謂審判の請求を受けた事件について判決せず又は審判の請求を受けない事件について判決をしたことに該当するものであるから、原判決はこの点に於て破棄されねばならぬ。

第二点原判決判示の「保険付短期貯蓄」と題する文書は被告人が保険募集文書として作成したものでなく、又之れを外務員に保険加入の勧誘の為使用せしめたものでもなく、保険募集の取締に関する法律に所謂「募集文書図画」に該当するものではない。

(一) 被告人は昭和二十四年六月第一生命保険相互会社鹿児島支社長として同支社に赴任し来つたものであるが当時同支社外務員等が保険に関する智識薄弱であつて保険募集の成績良好でなかつたので新社員の教育を担当していた岡元信吉の提案に基き保険募集員を教育し外務員に保険の智識を浸透せしむる為教材として本件文書を印刷せしめたものである。即ち本件文書は岡元信吉が同会社の過去の実績を基礎とし同会社の定款中配当に関する条項の趣旨を摘記し数字を示して解りやすく図解せる原稿を立案し、支社長として着任して間もなき被告人の承認を得て作成したものであつて専ら外務員の指導の為に使用せしものであり、これ本件文書に「外務教材」と明記しある所以である。言ふ迄もなく保険契約には各種各様の態容あり、金額に於て年限に於て、種々様々である。本件文書に表示されたる保険金額百万円、掛金年間五万数千円と云ふ如きは、鹿児島県下の実状と甚しく隔絶した巨額であり到底実例としてその用を為さず事実に於て本文書に表示されたる如き金百万円の保険契約は鹿児島支社に於ては一例だに存せざることは、この文書が保険募集の実用として考案されたものでなく、又その為に使用されたものでないことを最も有力に証明するものと謂はねばならぬ。以上の事実は証人岡元信吉、千々岩豊二、外薗佐吉、榎園栄二等の原審法廷に於ける供述により明かである。

(二) 検察官の提出せる昭和二十五年三月四日附大蔵省銀行局長より熊本財務局長宛の書面(原判決に証拠として引用せる)には本件保険付短期貯蓄と題する図表文書は保険募集の取締に関する法律第十五条第二項に違反している旨、及同法第二条第五項の募集文書図画の定義中「印刷物」は「募集に使用しない外務員に対する教材も含むものと解釈すること」なる記載あるも甚しく杜撰な独断で、最も誤れる解釈である。本法が仮令大蔵省に於て起草されたとするも法の解釈は公布されたる法文により先づ文理解釈を為し文言上疑義ある場合立法者の意思を推測してその解釈を補足するを常道となすのであろう。然るに本法に於ては巳に「募集文書図画」と謂い、単なる文書図画でなく「募集」の為の文書図画であることは文理上毫末も疑なきところであつて、同法第二条第五号の「募集のため又は募集を容易ならしめる為」又同法第十五条第二項の「募集文書図画」なる文言が明示されている点よりするも、この法律の取締の対象たる文書は保険募集の為、又は募集を容易ならしむる為に作成されたる文書図画に限定さるべきは極めて明かである。以上の解釈は本法第一条のこの法律の目的に関する規定よりするも亦疑義を存じないところであつて、単に社員、外務員を教育し保険の智識を習得せしむるための資料、教材は之をこの法律による取締の対象とすべきでなく、又その必要も存しないのである。尚このことは、当弁護人より原審に提出せる昭和二十七年二月十八日附第一生命保険相互会社代表取締役畔柳準次郎より大蔵省銀行局保険課に対する「保険募集の取締に関する法律中の事項禀伺方に関する件」と題する書面並に同回答書の記載により大蔵省の解釈も巳に本法第二条第五項中の「印刷物」は、あらゆる印刷物を指称するものでなく募集のため又は募集を容易ならしめるため使用せられるものに限る旨是正されていることを確め得るのである。本件文書は単に外務員の教材として作成されたものであることは叙上の通りであるから、この文書を以て社員の教習に使用するは何等法律に抵触するものでなく、之を募集に使用する場合に初めて問題を惹起するのであり、而も被告人やこの文書の起案者である岡元信吉等は社員や外務員に対し之を募集に使用すべからざることを屡々訓示注意していること後述の通りであるから仮令本件文書がその使用の方法により法に触るることありとするも被告人は本件公訴事実に付いての責なきことは多言を俟たざるところである。

原判決が本件文書を以て本法の対称たる「募集文書図画」に該当するものと為せるは事実並に法律の解釈を誤れるものであつてこの事実の誤認並に法令適用の誤が判決に影響を及すべきは明かであるから原判決はこの点に於ても破棄を免れざるものである。

第三点(一)被告人及本件文書を立案せる岡元信吉はこの文書は保険の智識を習熟せしむる為の教材であつて之を募集に際し使用すべからざることを外務員に対し繰り返し々々訓示し注意していたのである。この事実は原審に於ける証人岡元信吉、千々岩豊二、外薗佐吉、榎園栄二、杉村玉枝等の供述により確認し得るところである。従つて仮りに外務員の何人かが之を募集の際に使用したものがあつたとしても、その責は之を使用せる外務員に負はしむべきであつて、被告人に対し其の責を帰せしめむとするは刑事責任帰属の法理に照らし甚しき誤謬なりと謂はねばならぬ。

(二)検察官の証拠として提出せる吉武武一郎、丸野義武等に対する司法警察官作成の供述調書、及被告人に対する司法警察官並検察官作成の同上調書、並に同人の申立書等には被告人が本件文書を保険募集の為に使用せしめたる如き不利益なる記載あるも何れも真実に反するものである。吉野、丸野等は第一生命保険相互会社鹿児島支社の外務員として勤務中不正の所為あり、被告人が支社長として着任の後之を調査し当局の取調を受くることとなり、同会社は右両人を解雇することとなつたのである。右両人が、司法警察官の取調を受くるに際し、同人等が偶々本件「保険付短期貯蓄」と題する文書を所持していたことから端なくも本件保険募集の取締に関する法律違反事件として発展し来つたのであつて吉野や丸野が被告人に好感を持つていなかつたことは同人等の供述調書に被告人に不利益な不実虚構の記載ある所以を解明するものであり、又被告人は支社長たる身分であり乍ら勾留さるることとなりたる為一日も早く釈放さるるに非れば支社は勿論本社の信用を傷け業務上重大なる支障を生ずべきことを憂い問はるる侭に真実に反する供述を為さねばならなかつたことは容易に推測し得るところである。検察庁の取調に最初被告人は本件文書は外務員に対する教材として作成されたものであつて募集に際し使用せしめたものでなき旨弁明していたことは当時の取調に当りたる検察官山本良春の原審に於ける証言により明かである。公判に於て宣誓せる証人の供述をこそ信ずべく、勾留中や他事件の為に取調を受けつつありし者の取調官の意を迎へたる供述の措信すべからざることは多言を俟たざるところである。

(三)そもそも本法の制定されたのはわが国の敗戦後経済界の混乱甚しく保険業界に於ても投機的会社簇出し、その基礎薄弱なるに却つて誇大なる吹聴を為し、羊頭を掲けて狗肉を売るの徒輩群生したる為、保険業の健全なる発達と保険契約者を保護し不測の損害を免れしめんが為である。而してわが第一生命保険相互会社は明治三十五年に創立されその基礎最も堅く初め約束されたる利益の分配等も確実に履行されて居るのであり、将来の利益の配当に付従来の実績に基き之を文書に表示して募集に際しその説明の資料となすも契約者に毫も不測の損害を及す如き虞なきものである。本件文書は前記の如く岡元信吉が第一生命保険相互会社の従来の実績を同会社の定款中配当に関する記載を摘記して之を作成したものであるが本法に所謂「予想」に過ぎないものではなく確実に履行さるべき数字を解り易く図表に示したものである。従つて本件文書は「将来に於ける利益の配当についての予想に関する事項」を記載したものと謂ふべからざるものであるから此点に於ても本法第十五条第二項に抵触する文書ではないのである。

即ち右(一)(二)(三)の観点よりするも原判決は甚しき事実の誤認を為し法令の適用を誤れるものなること極めて明かである。されば以上何れの点よりするも原判決の失当なることは毫も疑を容れざるところであるから速かに之を破棄し更に相当なる判決を求むる為本件控訴に及びたる次第である。

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